母を恋いうる



作・27歳.サラリーマン

    ―2―


おそらく、今まで誰にも触れられたことがなかったであろう、お尻の小さな穴に、男の猛々しい肉棒を無理矢理挿入され
体内の奥深くを荒らされた母は、魂の抜け殻の様に、ベッドの上に躰を横たえていた。 
そして今また2人目の男が、仰向けにした母の足をV字に大きく拡げ、長大な肉棒を突き入れた。 
先程の浴槽で、母の口唇内に1度射精しているためか、それともこの男の精力が絶倫なのか、
延々30分以上に渡って母の躰は揺さぶら続けている。その間、母は何度も絶頂に達したのか、男が最後に向けて猛烈に腰を動かす頃には
ただ口をだらしなく開けているだけであった。おそらく、声も呻き声だけとなっていたであろう。 
しかし、男が射精する瞬間の震えを見せた時、組み敷かれた母もまた躰を強ばらせて、絶頂へと追い上げられていた。 

5時間近くに及んだ凌辱劇は、2人の男にそれぞれ2度づつの欲望を満たさせて、夕刻になってやっと終わりを告げた。 
男達が去った後の寝室には、3人分の汗と、自分自身の淫液、そして男達が吐き出した雄液にまみれ、
ぼろ布のようになってベッドに横たわる母が、1人残されていた。 
男達から解放された安心感からか、それとも謀らずも押し上げられてしまった絶頂の余韻を噛みしめているのか、
まだそれほど型くずれをしていない乳房を、ゆっくり上下させている母は、男女の営みと、そこから得られる快楽を知り尽くしている
熟女そのものであった。そんな母の姿は、すでに3度吹き上げている私の股間を、最後の力を振り絞ってまで勃起させるほど、
淫乱な乱れ姿であった。 

この出来事は、母の同意があったのかどうか、私には定かではなかったが、真意はともかく見た限りでは、
ほとんどレイプと言えるものであった。このような場合、本来ならば、息子である私は、凌辱者達の手から、母親を守るべきであったと思うが
残念というか不謹慎と言うべきか、その時の私は、母親を救うよりも、普段からは想像も出来ない様な、
恥辱にまみれた母の女としての姿を見てみたいという淫らな欲求の方が勝ってしまっていた。 
そしてあろうことか、さらなる屈辱に悶える淫らな母の姿と、熟した肉体が要求する淫乱な喘ぎ声を、
今度こそは一部始終見てやろうと、固く決意してしまっていた。 

この時は、なんら準備をしていなかったので窓の外から覗き見ることにしたが、声はほとんど聞こえないし、
逆に声が聞こえる場所では、母が凌辱されている様を見ることが出来なかった。 
もっとも、それが返って淫らな想像力を発揮することになり、十分興奮できたのだが。 
そして次回に備え(次回があるかどうか、この時点では判らなかったが)、なんと盗撮のための、準備を始めてしまったのである。 

盗撮の方法として、カムコーダーを考えたが、何部屋にも設置することは出来ないし、音がするとばれてしまう恐れがあるので
ジャンク屋から小型のCCDカメラと、小型マイクをいくつか手に入れてきた。 
それらを、必要な部屋に設置して、2階にある私の部屋のビデオで、録画しようと言う訳である。 
最初、各部屋から電波で飛ばそうとしてみたが、結構厄介な問題が出てきたので、手間はかかるが、線を私の部屋まで引っぱることにした。
CCDカメラとマイクは、自由に取り外せるようにして、リビング、両親の寝室、脱衣場、廊下の各場所から2階の部屋まで、
かなり苦労して配線を行った。 配線がばれないようにするため、各部を壁の色に塗ったりして、目立たないよう苦心した。 
両親の寝室にまで、カメラを置くことに、躊躇いがあったが、これも仕方がないと、諦めることにした。 

父が出張から帰って来てからの母は、それまでの態度と全く変わらず、いつもように夫に仕える妻であり、優しい母であった。 
あの日、我が家を、そして夫婦の寝室までも、男達に弄ばれて流した淫液で汚した女だとは微塵も感じさせることがなかった。 
私はカメラテストを兼ねて、申し訳ないとは思いつつ、両親の寝室を覗いてみた。
普通、長期の出張で妻と接することが出来なかったら、帰ってきた時ぐらいは久々に妻を抱くものと思っていたが、
私の期待はあっさり裏切られ、二言三言会話があったきり、父は早々とベッドに潜り込んでしまった。 
出張疲れのせいもあるかも知れないが、待たされた女の側からすれば、他の男から与えられた快楽を貪ってしまったことに
情状酌量の余地はある、と変に納得してしまった。 
そして、夫婦としての肉体関係が、どこまで薄れているか判らないが、再びあの男達に身を任せる母の姿を見ることが出来るのも、
そう遠いことではないと確信した。 

私は、カメラテストを繰り返しながら、日々改良を重ね、これらを使う日が来るのを首を長くして待っていた。 
そして運良くというか、また父の海外出張の話が出てきた。どうやら、前回行った海外工場で再びなんらかの問題が発生したようで、 
今度はかなり長くかかりそうで、1ヶ月近い長丁場になりそうというのである。
父にとっては不運かも知れないが、私にとってはラッキーの一言であった。 
このチャンスを最大限生かし、かつ例の凌辱者達にも、たっぷり時間を与えるため、父の出張中に友人とキャンプに行くという計画を立て
母に、家を留守にする日にちと時間をしっかり伝えた。はたして母が、どこまで男達の言いなりになっているのか判らないが、 
もしこの事を男達の知ることとなったら彼らのことである、きっと私の不在中に押し掛けて来るはずである。 

ドンピシャッ!! 私の思惑は、ものの見事に当たった。 
父が海外に旅立ってすぐに、男から電話で母に命令があった。 
彼らが、再び我が家を汚す日は私がキャンプに行く、正にその日であった。そして、おそらくは一晩中かけて、母を凌辱するに違いない。 
私はその日のために、最後のカメラチェックを、入念に行った。今まで行ってきたテストで、ピントの深度を上げるため、
広角目のレンズを装着し、マイクは感度のいいものに取り替え、配線の保護色もバッチリに仕上げていた。 
私は、その日が来るのを、楽しみにしつつも何か胸に引っかかるものがあった。
それは、母に男は、『食事は3人分を用意しておけ』という命令をしていたのである。3人分とは、母と例の男2人を指したものなのか、 
それとも、母を凌辱する者が、さらにもう1人増えるということなのか・・・・。 私は一抹の不安に駆られたが、それを補って余りあるほど
期待が膨らんでいたことは言うまでもなかった。 

そして、私が友人とキャンプに行く、と母が信じ込んでいる日がやって来た。 
昨日、食料や飲み物、食器、燃料、コンロなどのキャンプ用具を、ウキウキしながら準備している私をみて、母は何の疑いも持たなかったようだった。
これらのキャンプ用具一式は、もちろん自分の部屋に、一晩閉じ籠もるのに必要なものである。 
今回の準備する中で困ったのは、排泄をどうするかであった。 自分の部屋に居るのだが、自宅の1階にあるトイレを使えないからだ。 
そのため、2Lのペットボトルを用意して、小はこれにすることにし、終わった後は、2階の屋根から垂れ流すつもりだった。 
ただ、大の方は・・・・、これは我慢するしかなさそうだ。 また私の部屋に、窓から直接出入り出来るよう即席の縄梯子まで用意した。 
準備万端で、荷物の入ったザックを担ぐと足取り軽く、母が見送る中友人宅に行く振りをして、我が家を後にした。 

夕方の5時過ぎ、既に縄梯子をよじ登って自室に戻り、今か今かと首を長くして待っていた時、ようやくあの2人の男達がやって来た。 
そして私は、自室に潜んで、廊下に設置したカメラが捉えた映像を、食い入る様に見つめていた。 
ただ残念ながら、玄関までは考慮していなかったので、モニタの上隅に、玄関口に立つ3人の姿が、かろうじて映る程度であった。 
そしてカメラを背にして、玄関の上がりがまちで男達を出迎える母の服装は、私の予想に反して普段着と言ってもいいような姿であった。 
やがて1人の男が、二言三言母に向かって何かを言うと、なんと驚いたことに、玄関口だというのに、
母はスカートのジッパーを下げ、2人の男の目の前で、ゆっくりスカートを脱ぎ始めたのである。 
恥ずかしさによるものか、小刻みに震えながら、自ら肌を男達の無遠慮で淫猥な視線に晒していく母の姿は、
獣を前にして怯える少女のようであった。 しかし、スカートの下から露わになった母の下着は、少女が身に着けるものとはほど遠く
風俗嬢でさえも躊躇うのではないかと思われるものだった。 淡いピンクで極端に薄い布地のそれは、女の肌を隠す役割を全く担っておらず
男達の好奇な目を、満足させるためだけに存在しているかのようであった。 そして、母がカメラの方に振り向いた時、
恥丘の黒い翳りまでも、はっきり晒け出してしまっていた。上半身は清楚な白のブラウス。
しかし下肢部には、パンストも履かず、そんな過激な下着だけを身に着けた母は、全裸姿よりも遙かに欲情をそそるものであった。 
いよいよ始まる、そう思っただけで、私の股間は異常なまでの高ぶりを示していた。 
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